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エキスポランド 風神雷神 事故と小河原良乃さんの悲劇 - 真相と教訓

By James Bradley
エキスポランド 風神雷神II ジェットコースター

子どもの日の昼下がり、大阪・吹田市の遊園地に響いた鈍い衝撃音。それが、日本の遊園地史を永久に変えた瞬間だった。2007年5月5日、エキスポランドの人気アトラクション「風神雷神II」が脱線し、19歳の女性・小河原良乃さんが命を落とした。単なる事故ではない。長年にわたる点検の怠慢と、組織的な虚偽報告が招いた、防ぐことができた惨事だった。

エキスポランドとはどんな場所だったのか

エキスポランドは1970年に催された大阪万博のアミューズメントゾーンとして開園した遊園地だ。大阪・吹田市の万博記念公園に隣接し、関西では長年にわたって家族連れや若者に愛される定番スポットだった。USJが開業する以前、「関西の遊園地といえばエキスポランド」と言われるほどの知名度を誇っていた。

風神雷神IIは1992年3月20日にオープン。全長は1050メートル、乗車時間は約2分でコースを猛スピードで走り抜ける立ち乗り式のジェットコースターだった。4人乗り6両編成で、青色の「風神」と赤色の「雷神」が交互にコースを走る、当時としては画期的な設計だった。スリルと速度感が売りで、開業当初から多くのファンを集めていた。

2007年5月5日 - 事故発生の瞬間

事故は2007年5月5日12時48分に発生した。ゴールデンウィーク真っ只中ということもあって、園内は人でごった返していた。子どもたちの笑い声が響く、にぎやかな昼下がりのことだった。

「風神雷神II」の「風神」の車体とレールを固定している車軸が金属疲労により断裂。2両目の車体の片方の車輪が脱線したことで車両ごと45度に傾き、2両目の車両の前列に乗っていた19歳の女性が、車両と作業用の足場に設置された手すりに頭部を挟まれて死亡した。

スタート後、約150メートル走行した時点で、2両目前部の車軸の先端が破損。レールを傷つけながら走行し、約680メートル地点で、車軸で固定されていた車輪のユニットが脱落した。その後、車両は左に大きく傾いたまま約35メートル進み、点検用通路の手すりに接触した。これほど長い距離を異常な状態で走り続けていたという事実が、後に関係者を震撼させた。

小河原さん以外の乗客19人と、事故を見て気分が悪くなった人を含む計34人が病院に搬送された。大阪府警は業務上過失致死傷容疑で同日、吹田署に捜査本部を設置した。

遊園地ジェットコースター安全点検

小河原良乃さん - 19歳が最後に見せた優しさ

死亡した女性は滋賀県東近江市に在住していた小河原良乃さん。年齢は19歳、玩具メーカーで勤務されていた。事故当日は職場の同僚6人と一緒に遊園地を訪れていた。普通の休日の、普通の外出のはずだった。

小河原良乃さんは事故直前に親子3人のグループに席を譲ってあげていた。6人グループだった小河原良乃さんたちの後ろには親子連れ3人が並んでいた。風神雷神IIは1つ車両に4人座ることができる。小河原さんたちが先に乗ると、親子連れ3人は2両目の後列と3両目前列に分かれてしまうことになる。そのため、小河原良乃さんは親子連れ3人に先頭車両を譲って、自分たちは2両目に乗ることになった。

この一つの思いやりの行動が、運命を決定づけた。体の不自由な母親を助けながら働いていたことからもわかるように、良乃さんはとてもやさしい性格だったようだ。彼女の死は、その優しさゆえに招いてしまった皮肉な結末として、今も多くの人の心に刻まれている。

なぜ事故は起きたのか - 15年間放置された車軸

直接の原因はコースターの車軸が金属疲労で折れたことだった。しかしその背景には、開設以来15年にわたり建築基準法で定められた探傷試験を実施せず、車軸を交換していない実態があった。点検は目視のみで、吹田市に対して「指摘なし又は良好」「異常なし」などと虚偽の報告をしていたことも明らかになった。

エキスポランドではこの風神雷神IIの開設以来、15年間車軸を交換したことがなかった。また、建築基準法で定められた日本工業規格の探傷試験に見合う検査は行っておらず、単に目視だけで特定行政庁に「指摘なし又は良好」と報告をしていた。これは単純な点検漏れではなく、組織ぐるみで続けられてきた不正行為に他ならない。

2007年の1月に行われた点検は目視のみ。そのまま次回点検の5月15日に持ち越しとなった。雷神でも同じような金属疲労が見られたという。つまり、事故が起きた「風神」だけの問題ではなかったのだ。点検体制の崩壊は、施設全体に及んでいた。

裁判と法的責任 - 問われた企業の姿勢

元取締役のAと元施設営業部長のBは業務上過失致死傷罪などに問われ、大阪地裁によって禁錮2年、執行猶予4年、罰金40万円の有罪判決を受けた。また、建築基準法違反に問われた法人としての同社には罰金40万円、元技術課長のCには罰金20万円が課せられた。

裁判にて検察側は「定期検査で車軸を外して検査していれば事故は防げた。設置以来一度も交換していない車軸に傷があることを予想するのは可能だった」と主張した。つまり、適切な管理が行われていれば小河原さんは今もこの世にいたはずだ、ということだ。判決の重さより、失われた命の重さの方が、はるかに大きい。

遊園地閉園跡地再開発

エキスポランドの閉園 - 取り戻せなかった信頼

風神雷神IIの死亡事故の後、エキスポランドは2007年8月9日まで閉園し、風神雷神IIは無期限の運行停止となった。8月10日からは営業を再開したが、客足は戻ることがなく、例年の2割以下に減少したため、12月には再び休園して改修工事を行うことになった。

だが、あの空気はもう戻らなかった。事故前は「ちょっと遊びに行くのにちょうどいい遊園地」だった場所が、事故後は「なんか怖い」「あそこ大丈夫なん?」という存在になっていた。再開からわずか数か月後の12月、正式に閉園の発表が出され、エキスポランドは完全に営業を停止した。

しかし、営業再開が見込めない状況になり、2008年10月に民事再生手続きを開始した。そして2009年2月、完全閉園と清算手続きが始まった。39年間にわたって大阪府民に親しまれてきた遊園地の幕引きは、あまりにも重く、悲しいものだった。

跡地は今 - エキスポシティへの生まれ変わり

エキスポランドが閉園してから、しばらくの間は更地になっていた。その後、再開発が進んで、2015年にオープンしたのがEXPOCITY(エキスポシティ)だ。ららぽーとを中心に、映画館とか、ニフレルという水族館など、体験系のスポットがいろいろ入っている。

今やエキスポシティは大阪有数の商業・体験施設として多くの来場者を集める。しかし、あの場所を知る世代には、賑やかな商業施設の向こうに、かつてのジェットコースターの軌道が透けて見える。風神雷神IIが走っていたコースがどこにあったのか、今は誰にも確かめようがない。

この事故が残した教訓 - 安全管理と命の重さ

エキスポランド風神雷神II脱線事故は、ジェットコースターの運行中の事故で、乗客が死亡したのは国内初だった。この衝撃的な事実が、日本の遊園地・アミューズメント施設全体の安全基準を見直すきっかけとなった。国土交通省は事故後に規制強化を進め、遊戯施設における定期検査の義務づけや、探傷試験の実施基準が大幅に引き上げられた。

点検を「目視だけで済ませる」という慢性的な慣れ。15年間、一度も車軸を交換しないという怠惰。そして虚偽報告という不正。これらが複合的に重なり、一人の19歳の命を奪った。小河原良乃さんの名前は、日本の安全管理の歴史において、決して忘れてはならない名前として刻まれている。

遊園地は夢と笑顔を売る場所だ。しかしその笑顔の裏側に、厳格な安全管理と、命に向き合う責任感がなければ、その夢は一瞬で悪夢に変わる。エキスポランド風神雷神IIの事故は、そのことをこれ以上ないほど明確に示した出来事として、今も問い続けている。設備の老朽化を点検するのは機械ではなく、人間の誠実さだ。小河原さんが見せてくれた他者への思いやりが、同じくらい施設運営側にも存在していたなら、歴史は違うかたちになっていたはずだ。